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田中泯@須磨海岸

なんだか非常にあわただしい日が続いて、ろくろくダンスを見に行くこともまかりならず、いろいろ見逃した公演もこの間多いのですが(きまたりのソロも白井剛も見逃した)、やっと先日久方ぶりにダンスを見ることができました。「田中泯 独舞 場踊り in 須磨海岸」です。

舞台となったのは神戸市須磨区の、何もない海岸。瀬戸内の大海原が、天然の大舞台です。照明は夕刻の空灯り、音響は打ち寄せる波の音。砂浜に置かれた一脚のベンチとシャベル、下手にある花道替わりの突堤だけが、「舞台」であることを物語っています。

気がつくと砂浜の遙か彼方に、ただ一人、黒い影が佇んでいます。紅い襦袢に黒羽織、黒頭巾で顔を覆った、田中泯その人です。美しい六甲の山並みを背に、ただ砂浜に立つだけで、ものも見事に絵になっています。そのまま、もの思いに耽るように一人で海を見つめ、その場に佇むこと数分。ゆっくり歩いて海を見つめ、さらに波打ち際までゆるゆると、蝸牛のように歩みを進めていきます。やがて波打ち際から海の中へ。腰まで波に洗われながら海中にふと立ち止まり、遠ざかる何かに別れを告げるように、ゆっくりと右手を挙げて静止する。その孤独な立ち姿の、いかに美しかったことか!

しかもこの間、顔は黒頭巾の奥深くに包まれ、一度も客席を向きません。ただただ海を見つめ続けるだけ。人間のからだの最強のメディアであるはずの「顔」を封印し、それでもなお強烈な黒い光を放つ佇まい。ダンスを、踊りを見るというより、そこに一個の峻厳たる肉体があるという事実に、見る者は圧倒されます。

やがて舞台中央、海中に据えられたベンチに座り、再び海を見つめること数分。ベンチもろとも後ろ向きに倒れ、海中でもがく。さらにシャベルも倒れて波に流され、ベンチともども波に洗われ、ゆらゆらと波間に揺れています。やがてベンチを超えて、海の向こうへさらに進むと、そこで初めてダンスらしいダンスが始まる。延々と無言の立像を空間に刻みつけた挙げ句、そこで初めて踊りが始まる、この悠揚として迫らぬ肉体の筆致!

やがてダンサーは海からの風に逆らうように、花道ならぬ突堤の上を、一歩一歩歩んでいきます。風が吹けば風になびき、風を巧みに背中に逸らす。空気の塊の狭間に潜り込むかのように、身をくねらせて体を押し出す。ダンサーは次の一歩を踏み出すものの、また海風になぶられて体を撓める。その果てしない繰り返しのうちに、いつしか突堤の先へ先へ。近松の心中ものを独り演じるがごとき道行きの果て、辿り着いた突堤の上。蒼く濁った海のただ中に立つ紅い影、震えるように風を受け、波音を聴く姿の心細さはいかばかりか! 

このダンスはまさに「草」のダンスであって、何の物語をも語りません。いや、それどころか、それは踊りと呼ぶことすらはばかられるほど、静謐さに充ち満ちています。通常ダンスは動きを見る芸術ですが、ここでは動きと動きの狭間、その空虚な時間こそが、雄弁に何かを物語っています。寄せては返す波のまにまに、ぽっかりと風景を切り抜いたかのような肉の影が立つ。その存在の負の重み、そこに田中泯という存在が浮き彫りにされているのです。

2007.6.3 (sun)
田中泯 独舞 場踊り in 須磨海岸


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